スクランプ連盟

趣味の旅行、映画、パートナーと二人三脚のうつ病ライフについてゆるーく書いてます。

えいが。

ファインディング・ドリー観てきました。極度の忘れん坊のドリーが唯一憶えていた両親の記憶を頼りにマーリンやニモといっしょに家族を捜す旅に出る話です。この作品はファインディング・ニモの続編なので、ドリーは前作同様のキャラクターなのですが、今作を観てある一点に気付きました。何でも忘れてしまうドリーの「弱点」は裏を返せば重要な「個性」なのだということです。
先日津久井やまゆり園の無差別殺傷事件がありましたが、犯人は施設の入所者のひと達にとって障がいが「弱点」であり、弱点を「不幸」だと捉えていました。私の友人は犯人が自分達と解離した存在、よその世界の人間だと考えてはならない、と言っていました。
例えば出生前診断で、おなかの中の子供に何らかの障がいがあるとわかった時、中絶を選択する親は9割にものぼるそうです。産まれてきてもかわいそうだから、という親の心理は明らかに事件の犯人と同じプロセスをたどっています。
障がいイコール弱点イコール不幸せ、だから死んだ方がいいのだ、という恐ろしい考え方は実は特異なことでなく、潜在的に私達の誰もが心の中に持っている偏見なのです。私は子供がいませんが、友人にそう指摘を受けた時はっとしました。自分のことだと考えればけっして否定は出来ません。障がいを抱えた子供を持ちたくない親の一方的なエゴイズムでさえ透けて見えました。
障がいの有無に限らぬことで、ひとはそれぞれ何かしら苦手なものを持っているものです。みんながお互いを認め合い、「個性」として尊重し合う世界が実現するといいですね。ちいさなおさかな達にそう教えられました。