スクランプ連盟

趣味の旅行、映画、パートナーと二人三脚のうつ病ライフについてゆるーく書いてます。

つながり。

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親戚うちで集まりがありました。発起人は私。私の家族と生みの母の家族達、きょうだい、姪達が一堂に会するのは初めての事です。母は足が悪いのですが、機関銃のようにしゃべるひとなのでまだまだ元気だなあ、と感じました。びっくりしたのは1番下の弟。ゲゲゲの鬼太郎のロングヘアバージョンみたい。陽気な兄とは対照的に、物静かで落ち着いた感じでした。最後に会ったのは彼が8歳の時。今や立派な大人です。時の流れの速さを感じました。
実は私、長年母とは会うつもりは無かったのです。事情が許さなかったとはいえ、私を置いて出たひとでしたから。今回の震災で少し心境の変化がありました。被災してみて自分が無事だった事を考えた時、何故自分が怪我もなく生き残ったのかを深く思い知らされました。母が私を産まなければ、私はここに居なかったのです。母の家族達が私に会いたがっている事は前からきょうだいに聞かされていました。それを敢えて無視していたのですが、思い切って電話してみたのです。最初母は足のリハビリがあるので会えない、と言っていましたが、それなら弟たちには会えないだろうか、と言ったら長男が間もなく来てくれました。“俺は姉ちゃん達とメシを食うのが夢だった”と言われました。何で彼らを今まで無視して来たのだろうと胸が痛みました。
夕方近くなって母と再婚相手のおじ様、次男が来てくれました。近況など聞いているうちに気付いたのですが、私と母は声が良く似ています。母が言うには若い頃の声にそっくり、だそうです。顔立ちはきょうだいに良く似ています。言われてみれば、長男はきょうだいに、次男は私に似ています。なるほど、同じ血を引いているという事はこういう事か、としみじみ感じました。長男ときょうだいは方言で会話しますが、私と次男は標準語で話します。ただし、性格的には私と次男は似ていません。自己主張が強く、言い出したら最後後に引かない所は母似だそうです。私は全く覚えていないのですが、一度夏に私が何か母に口答えをして、謝りなさい、と言っても絶対に謝らないので無理矢理服をはがし、裸で玄関先に出した事があったそうです。母と別れたのは私が3歳の時ですから、それ以前の話です。普通幼児にそこまでしますかねー。結局私が折れて事態が終了したらしいです。
私が覚えている母の姿は幾つか有りますが、歌を教えてもらった事、手を引かれて母の実家に逃げた事、月見そばを食べていて母が卵を食べようとした時に“お月様が出なくなっちゃうから食べないで”と泣いた事、出ていく母の後ろ姿。最後の言葉。
最後はきょうだいみんなで携帯の写真を撮って別れました。みんな見えなくなるまで手を振ってくれました。
帰り道、パートナーが“あなたはあのお母さんに育てられるべきだったね”とつぶやきました。
血のつながりというのは良いものですね。今後は大切にしていきたいと思います。