スクランプ連盟

趣味の旅行、映画、パートナーと二人三脚のうつ病ライフについてゆるーく書いてます。

こみゅにけーしょん。

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朝記事を書いたら超速でコメントが来ました。こういうのって嬉しい。ちゃんと読んでくれてるんだなー、と思います。今日1日良い事ありそう。
一方で、お気に入り解除した方が良いのかな、と思う方も居られます。おひとりは1度もコメント返して下さらない方。もうおひとりはおそらく私に対してコメント拒否をかけているご様子の方。前の方は少し様子を見ている所ですが、後の方はおそらくご迷惑だったのでしょう。近々解除させていただこうと思っています。
ひと付き合いは難しいものですね。暖かく接して下さる方もいれば、そうでない方もおられます。
実際の所、私が大学から大学院にかけて過ごした6年間の人間関係はお粗末なものでした。
私は非常に貧しい学生だったので、常に複数のアルバイトを掛け持ちしてやっと生活していました。当然、他の事に手を回す余裕はありません。私の居た学科の学生のほとんどは学科と関係のあるサークルに所属していました。よその学科のひとにちょっと変わっているね、と言われたほどです。学科のほぼ全員が私生活でも交流を持つ中、私は少数の友人とたまに会話するのが精一杯でした。
更に、大学生活を私は寮で過ごしましたが、寮費が安い代わりに生活の全てを自分たちで行う“自治制”でした。しかもプライベートスペースはベッドのみの4人部屋。
その寮では部屋の上級生が家具や電気製品を買い揃えるという不文律があって、到底そんな事が出来ない私はよく思われていませんでした。アルバイトの時間次第では自治活動に参加できなかったことが日常的だった事も影響しました。
ある時、同室の下級生に“ミルワーム”という食用の昆虫が入った飴を食べるよう強要されました。食べたく無いのでごめんなさいね、と謝ったら何お高くとまってんの、何にも出来ないくせに馬鹿じゃない?と罵倒されました。ひとがせっかくあんたの為に買ってやったのに、と。別の部屋にいた時にはあなたと同室なのが不快なので友人の家を泊まり歩いている下級生がいるがどうにかならないか、と相談された事があります。
偶然高校時代の友人に(同じ大学の違う学部に居たのです)再会した時、彼女の第一声は“あなた生きてたの?”でした。よくよく聞いてみると、私は妙な宗教に傾倒して出家し、そこで自殺した事になっていたそうです。
私は大学の卒業アルバムに載っていません。撮影の時間や場所を誰ひとり教えてくれませんでした。
今では私ももっと周囲とのコミュニケーションに気を配っておくべきだった、と反省しています。当時は勉強と生きていく為のアルバイトに懸命だったので何も見えていなかったのです。
その中で現在のパートナーに巡り会えた事は本当に幸運でした。
これから新生活に乗り出す読者の方も居られる事でしょう。
どうか私の失敗を繰り返さないで下さい。