スクランプ連盟

趣味の旅行、映画、パートナーと二人三脚のうつ病ライフについてゆるーく書いてます。

しあわせについて。

あなたの幸せを祈らせてください、と言って近づいて来る宗教団体の勧誘が流行った事があります。私はこの手のひとに捕まるといつも同じ返答で対応していました。見も知らぬ他人様のあなたから見て、私はそんなに不幸せそうに見えますか、と。大抵の場合相手は言葉に詰まってひるみます。たまにですが、ではあなたのよりいっそうの幸せを…とたたみかけて来る猛者もいました。そういう時は笑顔でスルーすればそれ以上追いかけて来る事はなかったです。
当時の私はマンガに出て来そうな典型的な苦学生だったので、素直に祈ってもらえば何かは違っていたのかもしれませんが、残念な事に今に至るまで“信仰”の経験は1度たりともありません。誤解されると困るのですが、自分自身以外のひとが大切に思っているものを否定する気は毛頭ありません。ただ私が信ずる何かを持たない、あるいは期待を持っていないというだけの事です。
幸せって何だろう、と考える事がよくあります。お金を持っている事、社会的地位が高い事、没頭出来る趣味を持っている事、健康に恵まれている事など、“幸せのパーツ”は数え上げればきりがありません。もっとも、パーツ1つで完全リア充なひともいるでしょうし、数が多けりゃより幸せか、というわけでもありません。でも共通する事は、どれひとつとっても空から神様仏様がお恵みくださるものではない、という事だと思っています。
そのかたちはひとそれぞれでしょうが、自分を幸せにしてくれるものは自分自身の運と努力の結果でしかありません。運も実力のうちと言いますから、結局全ては自分の行動のもたらす結果に帰結する事になります。手を広げて幸運のコインやらチャンスの猫やらがやって来るのを待っているだけではダメだと思います。まず最初に自分にとって“前”はどっちか見定める事。あとはそっちに向かって1歩ずつでもいいから自分の力で進む事。方向さえ間違わなければ必ず何かに当たります。
生きていくってそういう事です。多分ね(笑)。