スクランプ連盟

趣味の旅行、映画、パートナーと二人三脚のうつ病ライフについてゆるーく書いてます。

えいが。

ゼロ・ダーク・サーティ”見て来ました。国際テロ組織集団アルカイダのリーダーだったオサマ・ビンラディンアメリカCIAが信念と執念で探し出し、“処刑”するまでの経過を事実に基づいて再現した作品だそうです。まず思ったのは、アメリカは絶対に本気で怒らせたらいけない国だ、という事。ひとりの人間を追いつめるためにこれだけの人的物的損失を払う事を厭わないのか、という恐れに近い感情、でしょうか。9.11テロ事件の時、夜行フェリーの船内でワールド・トレード・センタービルが崩壊する映像を呆然と見ていた事を思い出しました。大変な事が起こった、いったい何人の命が今この時、リアルタイムで失われていっているのだろうかと。アメリカ人があの光景をどう捉えたかは想像に難くありません。
話は本筋からそれますが、アメリカは州によって死刑制度のないところがありますね。私はひとの命というのは究極的には命をもってしかあがなえないと思っているので死刑制度には賛成です。あえて死刑を行わないという選択を許しているアメリカという国は懐が広いんだな、と常々思っていたのです。でも今作がどこまでリアリティを追求したものなのか解りませんが、ここで描写されている映像が大げさでないのなら、死刑どころじゃないですね。アメリカの、アメリカによる、アメリカ人のための“復讐”以外の何ものでもないと思いました。死刑は裁判の後に行われますが、ビンラディンには弁護人も裁判も、命乞いする間すら与えられませんでした。建物の中にいた子供は保護されたけれど、大人は男女問わず皆殺し。彼ひとりを逃がさないために。
あれでアメリカは溜飲を下げたのでしょうか。多分…、多分、あの場に居合わせた子供達は、全部でなくとも相当数がテロリストに育つのではないかと思うのです。目の前で両親を殺されたんです、アメリカ人に。憎しみは連鎖します。何が解決したのでしょうか。
ラストシーンであるCIA捜査官がひとり涙を流します。あれは誰のための涙だったのでしょう。私には解らなかったけれど、とても切なくなりました。