スクランプ連盟

趣味の旅行、映画、パートナーと二人三脚のうつ病ライフについてゆるーく書いてます。

ともだち。

Twitterのフォロワーさんをひとり切りました。心の病気と人格破綻の区別が付かなくなってしまっているかわいそうなひとでした。ここで悪口を並べるつもりはありません。ただ、“友達”って何だろう、と割と真剣に考えてしまったので書いておこうと思った次第です。
“知人”と“友人”との違いは信頼関係の有無だと思います。信頼というものは長い時間をかけてゆっくり構築していくものだから、本来そう簡単に壊れるものでもありません。だからこそ時には相手にとって耳の痛いアドバイスも投げかけられるのだと思います。もちろん、善意で受け止めてくれるものと信じて。
ただ、ひとには“NGワード”というものがありますよね。これは言われたら痛いなあ、というような言葉。普通は相手をよく知るほどに、そういった言葉は使わないようにするものです。けれど、こちらの心は平気で踏み荒らすのに、自分の中には地雷原のようにNGワードを散りばめて、ひとつでも踏んだらお前なんか友達じゃないぞと強制してくるひとがいたらどうでしょう。しかもこれは病気のせいだから仕方ない、理解出来ないお前が悪いと言われたら?
私にはそのひとが人間として哀れに見えました。自分以外は誰の事も信じられないなら、本当の信頼、友人関係など誰とも築き上げられないと思ったからです。心に病気を抱えていても他人を思いやる気持ちを忘れないひとを私はたくさん知っています。建設的でない会話をこれ以上続けていても私自身が疲れてしまう、と思う一方、こんなに哀れなひとを見捨てる自分に深い罪の意識を感じました。
しばらくの間、“友達”って何だろう、という最初の疑念に悩まされました。今ようやくこうして書けるようにまでなって、少しずつですが心に整理が付いてきたかな、と思っています。