スクランプ連盟

趣味の旅行、映画、パートナーと二人三脚のうつ病ライフについてゆるーく書いてます。

ただしさ。

ひとには誰でも自分なりの正しさというものがあります。そしてそこから極力外れないように生きてます。でもですね、正しさのかたちは実はひとつじゃないんです。100人いたら100通りの正しさがあって、100通りの行動規範があります。忘れてはならないと思うのは、自分と違う考え方をするひとがいたら、頭から相手が間違っていると決めてかかるのではなくて、ああそういう考え方もあるんだ、と受け入れるスペースを頭の中に作っておく事です。自分と似たような思考パターンのひととばかり話していると、自分の正しさをあたかも全体の正しさであるかのように錯覚しやすくなるんです。そしてそこから離れたところにいるひとを非難しがちになります。例えば、煙草を吸うひと、どう思いますか?私は煙草を吸いません。でもそれは、“私が煙草が嫌い”なのであって、“煙草を吸うひとは世の中に迷惑をかけている”というのとはかなり違うと思うのです。今、世間ではどちらかといえば嫌煙派の方が声が大きいですね。数が多い事は正義ではないんです。けれど煙草を吸うひとが狭い喫煙スペースに押し込められてしまっているのが現実だったりします。確かに煙草は体に悪いです。発ガンリスクに直接影響してくる恐い要素のひとつです。だから煙草を吸うひとを隔離しなければいけない、というのは一見するとものすごく真っ当で常識的な意見のように見えたりします。でも愛煙派のひとの言い分てどこに行っちゃうんでしょうか。リスクを承知で、かつ他人に迷惑をかけない程度のマナーを守ってたしなんでいるひとも大勢います。愛煙家の全てを“煙草を吸う”というカテゴリーに一緒くたにひっくるめて排斥するのは本当に正しい事ですか?ここで挙げたのはひとつの例に過ぎません。自分の正しさはあくまでも自分だけのものであって、実は世界は多様性にあふれているんだよ、という事を受容する、言い換えれば“度量”のようなものが最近世の中から失われつつあるような気がします。もっとゆったりいきませんか。