スクランプ連盟

趣味の旅行、映画、パートナーと二人三脚のうつ病ライフについてゆるーく書いてます。

きもち。

今日はパートナーと自分たちのあり方についてずいぶん話し合いました。きっかけは年賀状のことです。パートナーは私から先に出すことはない、来たひとにだけ出せばいい、と言い、私はそれに反発しました。年賀状を出す程度の自由が欲しい、そこまで束縛するなと言い、それがずいぶんと彼を傷つけてしまったようなのです。長い時間話し合いました。

 

古い話になりますが、私は10年前あるひとを好きになりました。私にとっては何もかも忘れたことです。パートナーは一生許さない、と言いました。それだけ彼を傷つけてしまったということでしょう。出て行ったら満足か、私が死んだら気が済むのか、と言ったらそう言うことではない、と返されました。私はそのひとが言った決して見捨てはしない、という言葉に友人として甘えています。いけないことでしょうか。私にはそれほどの自由もないのでしょうか。とても残念です。

 

私はパートナーを愛していますし、おそらくそれは生涯揺らぐことはありません。これ以上罵り合うのは嫌なので、今ふたりとも黙っています。この沈黙がいつまで続くのか不安です。

 

最近パートナーはうつの兆候があります。夜中の2時3時に早朝覚醒します。彼は私を責めませんが、私のせいだと思っています。それだけ日々私が彼を悩ませ追い詰めているということなのでしょう。私はうつの薬がとてもよく効いているために泣くことが出来ません。涙が出ないのです。

 

回復に向かっている自分を因果なものだと思っています。泣けるものなら今泣きたいのですがそれはかないません。これからどうやってパートナーに向かい合うのか不安に思っています。何も捨てたくありません。パートナーはもちろん、友人も、環境も。そう望むのはぜいたくでしょうか。

 

全部捨てなければ生きていけないのでしょうか。とても残酷です。どれだけ忘れて欲しい、と言ってもパートナーの心は変わりません。

 

パートナーは私には出来すぎたひとです。それだけ追い詰めても私を愛していると言ってくれています。最近パートナーを刺し殺す夢を見て冷や汗かいて目が覚めます。正夢かもしれないよ、と彼は残酷にも口にします。愛しているのに、愛しているのに。

 

今ようやく涙が出ました。声をあげて泣きました。パートナーは見ないふりをしています。私に出来ることなんて所詮このくらいです。自分の小ささを思い知らされます。

 

パートナーは眠ってしまいました。とても、とてもつらいです。私はここにいていいのでしょうか。生きている価値などあるのでしょうか。うつの薬がよく効いているのを今は残念に思っています。死ぬことも出来ません。残念ながらそういうことです。私は気持ちの捨て場もないまま歩いて行かねばなりません。自分の道が見えません。許してください、許してください、許してください。私はこの期に及んでも、何も捨てたくないのです。この手の中から放してしまえば消えてしまいそうな気がします。

 

だいぶ落ち着いてきました。心配かけて申し訳ありません。私は大丈夫です。明日になれば薬の影響で痛みも薄れるでしょう。そういうものです。